【洗濯船】モンマルトルのピカソのアトリエと見晴らしのいいカフェ【Bateau-Lavoir】

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モンマルトルの見晴らし
 

モンマルトルの丘にある涼しい小さな広場Pl. Emile Goudeau(プラス・エミル・グードー)。

 

【Bateau-Lavoir】モンマルトルの見晴らしのいいカフェとピカソのアトリエ【洗濯船】

その一角にあるのが【洗濯船】の名で知られるピカソのアトリエ跡【Bateau-Lavoir】。

 

【Bateau-Lavoir】モンマルトルのピカソのアトリエ【洗濯船】1

 

1899年頃から十数ものアトリエがあったという13番地のアパート。

ピカソ1904年
(ピカソ 1904年)
 

バルセロナからパリへやって来て間もない20代のピカソは、
1904年から1909年までの5年間を、ここで恋人フェルナンド・オリヴィエと暮らしました。

 

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モンマルトルのピカソとフェルナンド

(ピカソとフェルナンド)

フェルナンドは、この頃描かれた数多くの絵のモデルになっています。

そして、この地でピカソのキュビズムが生まれました。

 

(アヴィニョンの娘たち、1907年:バルセロナの娼婦を描いたこの)作品によりキュビズムが誕生)

 

【Bateau-Lavoir】モンマルトルのピカソのアトリエ【洗濯船】2

 

当時このアトリエを訪れていたのは、
モディリアーニ、ロートレック、ルノアール、マリーローランサン達。
詩人アポリネールはここでローランサンと出会い恋に落ちたそう。

 

(左から詩人ギョーム・アポリネール、アンドレサルモン、マックス・ジャコブ)

 

その後、画家達はモンパルナスへ移り住み【エコールドパリ】を形成、
1914年の大戦を経てそれぞれの道を歩みます。
 

【Bateau-Lavoir】モンマルトルのピカソのアトリエ【洗濯船】Picaso

【Bateau-Lavoir】モンマルトルのピカソのアトリエ【洗濯船】1904
(当時のアトリエ。1970年に火災で崩壊したため現在ここにあるのは白い綺麗な建物。左からモディリアーニ、ピカソ、右は詩人アンドレ・サルモン)

 

そんな広場のすぐ下には、パリの街を見下ろす気持ちのいいカフェテラス。

 

モンマルトルの見晴らしのいいカフェテラス1Le Relais de la Butte
 

ここはイタリアンレストランです.が
見晴らしの良さで最近の私のお気に入りスポットとなりました。

 

モンマルトルの見晴らしのいいカフェテラス2Le Relais de la Butte

 

次回はランチに来たい。

 

 

Le Relais de la Butte
12, rue Ravignan 75018 Paris
01 42 52 89 77
メトロ Abbesse
11/06/2011

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