【過激化への道】パリの攻撃に衝撃の波【シャーリー・エブド銃撃事件と郊外の移民問題】

├ ★ルモンド・ディプロマティック
この記事は約3分で読めます。

私がフランスに住み始めた2005年頃、パリ郊外の若者による暴動がありました。

パリ郊外のクリシー・ス・ボワ市で強盗事件を捜査していた警官が北アフリカ出身の若者3人を追いつめて、若者2人が変電所で死亡、1人が重傷を負いました。

この事件で地元住民は警察に怒りをもち、移民たちが治安部隊と衝突、車や商店に放火したり、パリの中心で大規模な乱闘が起こったのです。

フランスでは、差別に対する移民たちの抗議は80年代から続いています。

郊外に住む移民は、高度経済成長期にあった60年代に安い労働力を求めた政府や企業がチュニジア、アルジェリア、モロッコや中央アフリカの人びとをリクルートして流入しました。

その後、70年代から80年代にかけて自動車産業などで大規模なリストラが実施されて、多くの移民が失業しました。

郊外の公営住宅(団地)で暮らす移民たちは、地理的に孤立した劣悪な環境へ追いやられて、いつしかフランス社会から排除されていったのです。

今日は、仏語ルモンド・ディプロマティックから「【パリの攻撃に衝撃の波】過激化への道」をご紹介します。

スポンサーリンク

【過激化への道】パリの攻撃に衝撃の波【シャーリー・エブド銃撃事件と郊外の移民問題】

攻撃に混乱し、無力感と憤りの感情を放つ犠牲者たちの遺族が立ち直っても、緊急な問題が残されている。

平和な環境で暮らすフランスの若者たちが、自分たちの意見や主張、統一された宗教により選ばれた個人に対する暴力に取り組むことなどできるのだろうか。

・2012年3月7−8日 :モハメド・メラによるユダヤ人学校乱射事件
・2015年1月9日 :クアシ・クリバリとアムディ・クリバリ兄弟が関与したシャーリー・エブド銃撃事件
・2014年5月24日 メディ・ネムシュが告発されたベルギーの首都ブリュッセルのユダヤ博物館銃撃事件

これらの事件で殺人者たちの銃弾に28人以上の命が奪われた。

他に新たな情報はあるだろうか?

プレスが集めた情報は不完全だが、社会的背景をうかがい知ることはできる。

まず、加害者らは社会福祉と制約された少年司法制度の介入を経験している。
家庭環境が不十分だったり、悪かったとみなされていた。
彼らのうちのほとんどは、幼年期と青年期を里親の家庭や養護施設で過ごしたのだ。

次に、バカロレアが最低必須条件となるこの時代に、技術的なキャリアへの進路を証明する資格(CAP、BEPや職業バカロレア)に人気が集中する一方で、彼らの学業レベルは非常に低い。

ストリートギャングの世界では、「学校からの排除」は時に仲間との社交において有利になる。

暴行や盗難(車やスクーターの盗難、無免許運転)、名誉毀損(口論や侮辱)、または暴行を伴う強盗などが、早くから警察や判事たちの目にとまっている。

いくつか事件を起こしたあとで、モハメド・メラ(ユダヤ人学校乱射事件犯)と、クリバリ兄弟(シャーリー・エブド銃撃事件犯)らは19歳で初めて収監された。

そして、出所後の新たな犯罪が執行猶予を取り消し、刑期を長びかせた。

20歳から30歳までの間、彼らは多くの時間を拘留されて過ごしていた。

出典:ルモンド・ディプロマティック仏語版 2015年2月、ローラン・ボネリ

最後に

シャーリー・エブド銃撃事件」について公式発表をうのみにする事はできません。

なぜなら、メディアを使った特定のコミュニティーに対するネガティブ・キャンペーンは違法ではないからです。

事件に関与したと発表された「モハメド・メラとクリバリ兄弟」は、フランス社会から排除された移民であると報道されました。

このような発表は、フランスの移民差別を加速することになるでしょう。

今後さらに、ヨーロッパの移民・難民問題は無視できない状況にあります。

コメント

タイトルとURLをコピーしました